Kevin's B-6

東大に0.1点差で落ちて悩んだ挙句後期から仮面浪人していた。何年か後にコイツこんな事思ってたのかwwwという楽しみのために書いている。

ウケ容れる

 人間知っているものを好きになるらしい。

 

キュンです

 

「知っている」が「好き」の前提にあって、「全く知らないジャンルだけどなんか好き」という事は基本的に無いらしい。確かに歴代の恋人は初恋の人に似た人ばかりなんて話はよく聞く。

知識が好みに先行するという話は自分の身にも覚えがあることで、例えば、昔聴いた時にはハマらなかった音楽を数年後聴き直すと急に名曲に感じるという経験が多くある。大抵ハマる曲は昔どこかで一度は聞いたことのある曲だったり、それに似たメロディーをしていて、ちょっぴりだけ許容できる程度の新鮮さが加わっているように思う。音楽には全く明るくないが、日本でヒットする曲は殆どメロディーラインの型が決まっているらしい。

一般的に「新しく好きになる何か」は、現在好きなものと何かしらの関わりがあり、好きになる前からある程度の知識や馴染みを得ているものが殆どだそうだ。例えば、子供の頃親に連れられてよくサッカー観戦に行っていた経験から、サッカーのルールやどのようなプレーが良いプレーなのか理解するようになり、サッカー観戦を好きになる、といった具合だ。

全く何の馴染みもないものを好きになれるほど人間は新しいものに寛容ではないのかもしれない。

 

となると、自分の好きなものは、過去の好きだったものや身近な人の好きなものの集合体から派生したものとして構築されているということになる。

昔聴いてハマらなかった曲に数年後ハマるという経験をするたびに、どうしてその良さをその時に感じられなかったのかと自分の感受性にがっかりしてきたが、単にその対象についての知識が無さ過ぎただけかもしれない。

 

 

先日、2023年のM-1グランプリの決勝があった。それまでの人生ではそこまでお笑いに馴染みがあったわけではなく、リアルタイムで最初から最後まで見たのは今年が初めてだった。漫才よりコントの方が好きで、数年前までは、テレビを付けたらちょうどM-1をやっていて数ネタ見たが、あまり面白いと思えず、チャンネルを変えてしまったくらいのレベルである。

 

 

浪人時の死にそうな時に、サンドウィッチマンのコントで物心ついてから初めてお笑い芸人で笑い、それ以来色んな芸人のネタを見て、自分が「面白い」と思うものの幅が広がった気がする。劇場に行ったりするほど熱心なファンでは全然ないので皆目見当違いかもしれないが、今年の決勝戦を見ていて、ウケる、すなわち観客に面白いと受け入れられるかどうかは、「その漫才師のことを知っているか」と「今まで観客が見てきたネタやお笑いの蓄積の中にその漫才師がやったネタと地続きの種類のネタがあるか」に依るように感じた。いわゆる万人受けするとか玄人向けみたいなのは後者の蓄積の範囲の差に依るものだと思う。最近よくある「ずっと意味の分からないけどなんか世界観があって面白いネタ」もそういうジャンルがあると認識してみている人と知らない人とでは楽しめるかどうかのハードルがだいぶ異なる気がする。

 

ちょっと何言ってるか分からない

 

自分が面白いと感じたものに置き換えて考えても、上記の基準は概ねあてはまっていた。決勝戦ネタの中では、(あまり詳しく知らなかったのに)ヤーレンズの一本目が一番面白いように感じたが、多分サンドウィッチマンのスタイルとどこか似ている面があったからだという風に思う。雛は最初に見た存在を親だと思うなんて言うが、お笑いとして最初に見たサンドウィッチマンのスタイルが自分にとっての「面白い」の軸としてあり、そこと重なる部分が多かったので、自分にとって飲み込みやすく感じた結果、面白いと感じたんじゃないかと思う。富澤さんが変なピザの配達員としてテンポよくぼけていく様が、楢原さんの変な大家さんのぼけ方に重なって面白いと感じた気がする。昔から言葉遊びや文字る系のユーモアが好きなので真空ジェシカのネタも普段より分かりやすくて面白かった(美容院のコントみたいな伏線回収系の方が本領発揮感あって好きだけど)

また、歌ネタ等はそんなに馴染みが無かったのでこんな方向性もあるんだ、という組が複数あって、これをきっかけに自分の「面白い」と思える漫才の範囲が広がると思うと楽しみではある。

 

 

散々知識が好みに先行するという話を長々してきて恐縮だが、そんなことは前々から薄々気づいてはいて、その上でそれでもなお知識など関係なく言語化不可能な遺伝子レベルで好きだと思える存在があるのではないかと信じてそれを探しながら生きてきた気がする。だから、そんな存在ではないかと思える瞬間を迎えるとテンションが上がる。例えば初見でビビッと来る曲を見つけた時。大抵の曲は初見ではハマらないが、極稀にそういう時がある。全く知らなかった曲調を何故か好きになる瞬間。

例えば、FripSideonly my railgun』、サカナクション『ミュージック』、Akeboshi『Wind』、星野源『夢の外へ』、Yunomi、nicamoq『インドア系ならトラックメイカー』、Supercell拍手喝采歌合』、日食なつこ『水流のロック』etc...(有名な邦楽で好きなものは街中で一回は聞いた事があるものが多いので少なめ)

 

Cultivate your hunger, before you idealize

 

知識が好みに先行する理論で言えば、もしかしたらこれらの曲も自分で勝手に当時の自分にとって「新しいけど無条件で受け入れざるを得ないほど良い」と感じていただけで、無意識下ではそれまでの「良い音楽」の蓄積の延長線上でしかなかったのかもしれない。「なんだこの新しさは!」と思うものもその新しさを無条件に拒絶しないことができる程度の新しさかもしれない。

 

遺伝子レベルで過去の経験や知識の蓄積など一切関係なくどんな世界線を辿ってきたとしても好きなものや人など存在しないのかもしれない。

まず当面は「好き」だと思える範囲を広げるために色んなことを知る行為を続けようと思う。ノーマルプレイしか受け付けないよりもアブノーマルなプレイも楽しめる方が人生楽しそうだ。

そして、いつの日か、それまで広げてきた「好き」を一瞬で全て消し飛ばす、それ以前の「好き」の概念を覆すような圧倒的な「好き」的存在に出会える日を願って生きる。

大晦日に松岡修造の動画見てる奴

僕です。

新年明けましておめでとうございます。最近ジャルジャルの動画をよく見てます。

晦日の内容を新年明けて既に1週間経ってから書こうとしています。意味が分からないです。

話題は年末ということですが、いつからか、クリスマスとか年末とか周りが浮ついてくる時期になると相対的に自分の不幸度が上がるような気分になってしまいます。他人の幸せを羨んでいる訳ですが、幸せな人々に特別な興味がある訳でもなく、その人たちを通して想起された、幸せな人生というフワッとした幻想と自分の現状との差に悲しくなるといった方が正確かもしれません。フワッとしたイメージだけで具体的な内容が何も無いので突発的に孤独を感じる事はあっても実際に誰かと付き合いたいという強い感情もあまり生まれないのが気持ち悪い所です。

他者を羨みつつも理想に真剣に向き合っている訳でも無い自分の身勝手さに感服し、そんな風に思考をめぐらせて行くうちにそのうちどうでもよくなって考える気力を失います。

気候が与える影響とはやっぱり凄いもので、僕のような人間でも寒くなると人肌恋しくなってきてリアル・ネット上問わず孤独感に苛まれ、何故生きているんだろうなんて考えだしてしまいます。

晦日までずっと課題をやってればそんな気持ちにもなりますが、結局その気持ちも何か少し悪いことがあっただけで生じ、何か良い事があるだけで結構軽減される程度のくだらない感情です。自殺者や犯罪を犯してしまった人のニュースを見ると一歩間違えれば自分もそうなってしまってもおかしくないと思ってしまいますが、そんな気持ちも少し長めに寝れば大体軽減されています。深刻な悩みも大体はまぁそんなもんです。

この世のほとんどは究極的には取るに足らない事ですが、それは価値がないという事ではなく、取るに足らなさを認識しつつもその中のどれにこだわるか、こだわりたいと思うかという所に自分の生きる意味が表れるのではないかと思います。

生きる意味について一定の解答を見出した所でそろそろ総括&抱負で締めにかかります。

昨年は部活に入ったり理転したりと色々決断をした年で、その分やる事や分からないことが増えて課題やタスクをこなすので精一杯の日々になってしまいました。

今年はさらに忙しくなるとは思いますが、忙しいなりに自分が何に時間を割きたいのかよく考えて時間配分の面を頑張っていきたいと思います。 ただ頑張っているだけだと周りが幸せムードになった途端に虚しくなってしまうんですよね。

課題に全力投球し過ぎず、テンポよく捌いて本とか読める時間を作れるようになりたいですね。最近は夢無いのに夢をかなえるゾウを読んでます。 まぁ後は自分の居場所的な、年末に悲しくなって松岡修造の応援動画を見ざるを得ない精神状態にまで追い詰められないような、セーフティネット的人間関係を自分で作りに行かなくてはいけないと思ってますが、そんな気力が生まれるのかは分かりません。これが1番大事な気がしますけど。

そんな感じで自分にとっても皆さんにとっても2022年がいい年になればいいですね。ではまた。

ちなみに今年のおみくじは末吉でした。

ま、取るに足らないことだけど。。。

進振り報告

ぶつかり合わなきゃゼロのまんま、大切なものから目逸らすな。という事で、皆さん如何お過ごしでしょうか。信頼出来る仲間や全力でぶつかったライバルは居ませんがBADはキター!なケビンです。 最近何故かイナズマイレブン(T-Pistonz+KMC)の曲ばかり聞いてます。改めて聴いてみると結構いい歌詞です。

全然更新出来て無くて久しぶりの投稿ですね。免許合宿の話とか部活に入った話とか色々書こうと思ってたんですが、いざ書き始めると何だか妙に悟ったような内容になって迷走してる感が否めず、書くのを辞めてしまっていました。(本当は今回の記事も2S終了時に書き始めたもので、『進振りどうしよう…』みたいなタイトルの予定だったんですが、そこからかなり放置したせいで結果報告という形になってしまいました)

こういう何の知識やライフハックを読者に与えるわけでも無いブログの唯一良さを出せる部分って率直な心の内を出す事だと思うんですよね。そして地味にそれって結構な感情を動かす力を秘めてると思います。(このブログがそうとは言ってない)

何を言ってるか分からなくなった所で、本題に入ると、今回はタイトル通り進振り(進学選択振り分け)についてです。 進振りとは大まかに言うと東大の学部を決める制度で、1年の夏学期(1S)から2年の夏学期(2S)までの成績(大体は合計の平均点)が良い人から順に好きな学部に行けるというものです。 僕は法学部か工学部のシステム創成Cの二つで迷っていました。

学部は、現在文科一類に在籍中という事もあり点数的には一番行きやすい学部です。東大では、先に述べた進振り制度のため、基本的に2年の秋学期から学部の勉強が始まるのですが、法学部では例外的に持ち出し科目(その科目の単位を法学部の単位として持ち出せる科目)として、前期教養に属する2Sの段階から受講出来る科目が開講されています。その殆どが法学部の必修科目なので、法学部に行くことを検討している人は2Sから履修する事になり、例に漏れず僕も取っていました。具体的には憲法民法、刑法、法社会学ですね。法学の触りだけ学んだ感想としては、法律というものが割と隙間を含んだ内容にわざと設定されているおかげで、色々な現実社会の問題に対応するために人間の解釈が必要とされる部分が面白いと思いました。思ったよりもマニュアル通りみたいな感じじゃなかったですね。人の柔軟性のようなものが必要な分野だと感じました。

続いて学部のシス創の方ですが、此方は数理手法や統計処理、深層学習、プログラミング等を用いてシステム(所謂プログラムからクラスの相関図のようなものまでを含む幅広い諸要素の連関)を評価し、モデリングなどによってその改善・創成をする所らしいです。特にCコースは経済・金融〜AIまで幅広いテーマを扱える学科であるという所が売りのようでした。

そんな感じでいつも通りかなりギリギリまで迷っていましたが、最終的に、シス創Cの方に第一希望を出し、無事内定を貰うことが出来ました。 俗に言う理転の部類に入ります。 f:id:kevin0029:20211112115517p:plain

最終的な平均点は85点と少しでした。 f:id:kevin0029:20211112120546p:plain

シス創に踏み切った事について、決め手という程のものは例の如く無いんですが、大まかな理由は二つです。一つは自分の身の回りのモノがどういう仕組みで出来てるのかもっと知りたいと思ったからです。もう一つは自分はなにか(物質的なものに限らない)を「つくる」事がしたい人間だと思ったからです。ものづくりなら工学部らしい。

また、理系科目やプログラミングなどに対して、あまり知識がない故に、「分からないなぁ」という形で或る意味意識してしまっていたので、それに頑張って挑戦してみたいという気持ちも有りました。 「分からないから進学」という逆張りみたいな理由で学部を決めてしまって良いものか正直悩みましたが、「好きの反対は嫌いではなく無関心」ではないですけど、どんな形であれその対象を意識してるという点では同じなので良いかなぁと思い込むことにしました。特に滅茶苦茶好きな分野もないし。

というわけで、ブチ切れてスマホ投げた時にそれが何処に落ちるのか計算出来るようになりたいし、プログラム書いてみたいし、身の回りの物の構造を分かるようになりたいし、文系的な内容でも定量的に判断できる物差しを持ちたいし、それを使って新しい何かを作れるようになりたい〜という感じで決めました。良くも悪くも幅広い学科なので、自分の中に新しい問題への手の付け方とか物差しを持てたらいいなという気持ちでいます。今のところ。

現在、既にA1の授業が終了しようとしている所なんですが、所感としてはとにかく講義数が多いです。僕は部活の都合で仕方なく一授業(2コマ連続)削って週18コマにしたんですが、大半の人は20コマあります。23コマとか取ってる謎の人もいるらしいです。なぜ生きていけるんでしょうか… ほぼ毎日1日4コマなので105×4で7時間画面を見続けている計算になり、目が辛いです。 また、学科の進学に関する質問ページの回答では、微積線形代数やっとけば取り敢えず問題ない的なノリだったので夏休みに線形代数の復習はしてたんですが、いざ始まってみると物理基礎までしかやってない僕には力学の方がヤバくて焦ってます。知らない事があるのは楽しいんですが、それが前提で講義に進まれてしまうと辛さの方が勝りますね。ゆっくりしたいタイプの無能なので時間内に提出しろ!みたいな授業内課題を出す講義が多いのも負担です。

まぁプログラミングとかは結構楽しいし、面白いと思える講義もあるのでまずは目の前の期末を何とか頑張りたいと思います。正直ついていけてない講義もあるのでまた別の所で何かしら愚痴るかもしれないですw

以上、完全にタイミング逃してますが進振り報告でした。最近平均睡眠時間が明らかに減ってしまってゾンビになりかけてますが人で居られるように気張っていきます。。。デハマタ~!

仮面浪人になるまで心情の吐露

はじめに

こんちくわ。ケビンです。今回は前々回の記事の続きということになりますが、自分が受験を終えてから早一年近くが経過したという事で、今回で一応受験関連の話は終えようと思います。今回の趣旨は、最後の締め括りとして、仮面を考え始めてから決断に踏み切るまでの期間に何を考え感じていたのかをもう一度言語化して、自分の中で整理しておくということです。自分語り的要素がかなり多めになると思いますので、興味ない人は前々回の奴を読んでください。

 

仮面浪人に至るまで

僕の場合仮面浪人をすると最終的に決意したのが10月の頭頃なので、仮面に踏み切るまで約7ヶ月を要した。何故ここまで時間をかけなければならなかったのか。その理由は簡単に言えば仮面浪人という博打をしてまで東大に行きたい具体的な理由が無かったからである。しかし逆に言うと具体的でない理由ならあったし、普通の人には無い筈の仮面浪人という選択肢も心のどこかに残り続けていた。極めて個人的な話だが何故そんな状況になったのか、言葉にしてみたい。

 

仮面浪人という選択肢を消せなかった理由

返却された開示を見た時、何を思ったか。正直数学以外はある程度実力通りだから仕方ないと思った。センター試験での失敗を二次で結構挽回できていたのを見て、自分のこれまでの勉強が現れている事にある種の安堵さえ抱いた。センター2点分と思うと悔しかったが、何処かでラインを引かなければならない以上、そういうものだと割り切るしかないと思った。だから合格を貰っていた大学にそのまま入学したし、受験の痛みも大学生活を過ごす中でその内忘れる事ができるのではないかと思っていた。東大に行って何かしたい事があった訳ではなかったので必ずしも東大に行く必要はなかったからである。しかし話はそう単純ではなかった。

受験勉強中、大学生活で何をしたいのか(○○系の学問をしたい等という高尚な事に限らず、バンドやりたいとか女子とイチャイチャしたいとか部活に打ち込みたいとかバイトしてみたいとか)、そういう事を一切考えたことがなかった。どうしようもなく今を生きていたので受験の後のキャンパスライフなど想像してみることさえしなかった。

しかし、自由な分、自分から動かなければ何も起きない大学という場所では、何かしらの団体に深くコミットしなければ他人に受験の傷を癒してもらうなどという事は出来る筈もない。そんな訳で具体的なビジョンも無く受け身で大学に入った僕は傷を中々癒やす事が出来ず、結果的に仮面浪人という選択肢も心のどこかに残り続けた。

 

具体的でない受験する理由

上で東大を目指す具体的でない理由ならあると言った。より正確に言うなら理屈ではない理由である。正直に言って、頭では二浪してまで東大に行く意味は(少なくとも僕個人には)無いと理解していた。東大でのキャンパスライフを想像することさえしてないような人間なので当然オープンキャンパス等には行ってないし、そもそも2回も落とされたことで東大への愛着的なものもほぼ無くなっていた。

では具体的でない理由とは一体何か。それは、「自分は何やかんや東大に行く筈だ」という遥か昔から僕が持ち続けていた謎の思い込みである。

将来の夢を一度も具体的な職業に絞れた事がないほど未来のビジョンを持っていないにもかかわらず、自分は何か凄い人間になる筈だという謎の確信だけは持っていた僕は、そのビジョンの不透明さ故に、取り敢えず凄い人ならまぁ東大くらいは出ているでしょ。位のざっくりとした感覚の下、自分の中で東大に行くことを確定事項にしてしまっていたのだと思う。いつからそう思ってしまっていたのかは分からない。保育園の頃からかもしれないし中学受験に失敗した時からかもしれない。恐らく父親が東大出身だったと言うこともあり東大という名前だけは身近だったためそんな感覚を持つに至ったのだと思われる。東大について何の知識も持っていなかったので、東大に行くはずだという僕の謎の思い込みは東京大学に行くはずだ、では無くどちらかと言うとトーダイに行くはずだ、に近い。ラブひなみたいな感じである。ラブ要素は無かったが。

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──ふーん…

 

そんな訳で、数多くの将来への分岐を放置していた僕が唯一分岐を許さなかった点がトーダイ進学なのであった。自分でもそこまでこの思い込みが自分の中に浸透しているとは、トーダイでない大学に入学するまで気付かなかった。最初は軽い気持ちだったのだろうが、年月とは恐ろしいもので、長年自分の中に溜め込まれているうちに何の理性的な理由もなくただ思い込んだトーダイ進学という出来事が自分の中で必ず起きなければならない分岐の収束点になってしまっていた。この可能性を完全に切り落とすのは相当自分にとって辛かったのである。これが理性的でない理由である。

 

付け加えると、仮面浪人という選択肢を消せないままズルズルと過ごしたのは、受験前に東大に落ちた場合についてどうするか確実にしっかりと決めていなかったせいである。より具体的には、長い年月を経て完全にそうなるはずだと思い込んでいたトーダイ進学という可能性を剪定する覚悟を決めていなかったためである。

頭ではやる意味は無いと分かっていても容易にその可能性を切断出来ないほど自分の中でトーダイに行くはずだという思い込みが深く根を張っていた事に、東大でない大学に入った事で気付いたのである。

 

 

結局どうやって決めたか

頭では仮面浪人してまで受験する必要は無いと思っているが、自分の中に浸透してしまった思い込みの為に東大進学の可能性を完全に断ち切ってしまう事も出来ない。そんな感じで7ヶ月悩んだ。他にも仮面浪人のスケージュールの辛さや成功率の低さ、もう一度落ちた時に精神的に耐えられるか等も悩んだ原因に入っていると思う。個人的には学歴コンプという要因はそんなに大きくなかったと思う。人前で自分の所属していた大学名を言っても特に何とも思わなかったし、東大に行った友達と会ってもそこまで引け目を感じるわけでもなかった。

結局どうやって決めたのか。最後まで受験する積極的な理由は見つからなかった。9月終わり頃に決定に至った1番大きな理由は、悩んでいることに疲れ果てたからである。悩むという行為は存外体力を使う。大きな決断についてであれば尚更である。結局は悩み疲れ、センターの出願が近づいてきて、大学で大した交友関係も築けていなかったのでここまで来てしまったのなら、という事で受験する事にした。頭より心を優先した形になるが、以前とは異なり、受験決定と同時に今回で必ず受験を辞める事も決めた。可能性が剪定される覚悟を事前に持つことで、また同じ轍を踏んでしまわないように。東大進学への最後の可能性に望みをかけつつ、落ちた場合はキッパリ諦める覚悟も決めたのである。

 

おわりに

以上が僕の仮面浪人に至るまでの心情でした。実際に勉強を始めてからは、ある程度やらなくてはならないことが決まっているし、とにかくベストを尽くしてどんな結果であれ受験を終えるということを目標にしていたので、勿論苦しい時もありましたが、なんとか周りの支えもあって乗り切ることが出来ました。ある程度人生を左右する決断を完全に自分の意思だけで行うという経験はこれまであまりしてこなかったのでその点、今回の決断はいい経験値になりました。今後も大きな決断をする機会が何回かあると思いますが、結果をキチンと想像しつつ、受け入れる覚悟を決めてから決断を下していきたいと思います。

それでは、最後まで読んで下さりありがとうございました。また、次回。

負けそうな時に。

こんにちは。今日は僕が昔からとても好きな曲を紹介したいと思います。NARUTOの初代EDテーマにもかかわらず、日本ではイマイチ有名ではないようですが、NARUTOの世界観とよく合っているだけでなく、辛いときに聞くと不思議と頑張ろうと思える曲なので是非聞いてみてください。和訳はネットから拾ったのと自分で書いたのと半々くらいです。

ソース画像を表示

 

wind(ワインド) by Akeboshi

Akeboshi - "Wind" (Studio Session) - YouTube

 

Cultivate your hunger, before you idealize

Motivate your anger, to make them all realize

やるせなさを力に変えて現実にするんだ

Climbing the mountain, never coming down

昇ってみよう。たとえ降りられずとも

Break into the contents, never falling down

本質を見極めよう。たとえ戻ってこれずとも

My knee is still shaking, like I was twelve

膝がいまだ震えてる。12歳の頃のように

Sneakin' out the classroom, by the back door

教室をこっそり抜け出す。後ろのドアから

A man railed at me twice though But I didn't care

誰かが僕を呼んだ気がするが、もう止まらない

Waiting is wasting, for people like me

座ってただ待つのは無駄にしか思えなかった、僕には。

Don't try to live so wise

そんなに上手に生きようとしないで

Don't cry 'cause you're so right

泣かないで。君は正しいんだから

Don't dry with fakes or fears 'Cause you will hate yourself in the end

恐れやウソに負けないで。自分を嫌いになって終わっちゃうよ

Don't try to live so wise

そんなに上手くやろうとしないで

Don't cry 'cause you're so right

泣かないで。君は間違ってないんだから

Don't dry with fakes or fears 'Cause you will hate yourself in the end

嘘や恐れに負けるな。じゃないと自分の事が嫌いになっちゃうよ

You say, dreams are dreams

君は言ったね、夢は夢だと

I ain't gonna play the fool anymore

もうこれ以上道化を演じるのは嫌だと

You say, 'cause I still got my soul

君は言ったね、私はまだ出来るって

Take your time baby Your blood needs slowin' down

どうか自分の時間を大事にして。たまには休んで

Breach your soul to reach yourself before you gloom

憂鬱になっちゃう前に自分の殻を破れ

Reflection of fear make shadow of nothing

恐れはただの恐れに過ぎない

Shadow of nothing

大したことない

You still are blind if you see winding road 'Cause there's always straight way to the point you see

もし君が曲がりくねった道しか見えていないならまだ駄目だ。だっていつだって目的地へは真っすぐな道が続いているんだから

Don't try to live so wise

賢く見せようとしないで

Don't cry 'cause you're so right

泣かないで。君は正しいのだから

Don't dry with fakes or fears 'Cause you will hate yourself in the end

嘘や恐れで嫌になってしまわないで。自分の事が嫌いになってしまうから

Don't try to live so wise

上手く生きなくてもいいんだ

Don't cry 'cause you're so right

泣く必要なんてない、だって君は合ってるんだから

Don't dry with fakes or fears 'Cause you will hate yourself in the end

恐れや嘘に負けて投げ出してしまわないで、自分を嫌いになっちゃうよ…

 

 

明日はいよいよ受験最終日という方も多いと思います。一日目に失敗してしまった方もいるかと思いますが、不合格という恐れが作る像はまだ虚像に過ぎません。それを現実のものとするか否かはあなたの明日の気持ちにかかっています。一日目のことは一旦忘れろと言っても無理な話かもしれませんが、投げ出してしまわず、二日目に今までの全てを置いてこられる事を祈っています。僕も頑張ります。

”Don't dry with fakes or fears”

仮面浪人生活振り返り(実録篇)

中二で合宿に行った際の練習中に友達と衝突して歯を折ってしまった事があるんですが、神経はもう死んでいるのに折れた歯を無理やりくっつけて見せかけだけは保つという小賢しい真似をしていたら先日サンドイッチを食べた拍子にぽきっと折れて差し歯確定宣告を受けた男ケビンです。絶望なう。

 

今回の趣旨

一昨年の仮面するか迷っている時期(春~秋)に、仮面する意義を見出せなくてひたすら浪人生のブログを読み漁っていたんですが、日記的な形で気持ちとか一日ベースの記録を中心に書いている人が多かった一方、具体的にどのようなスケジュールにだったのか(例えばセンター試験前後はどんな感じだったのかとか)がイマイチ分からず、不安が解消されなかった記憶があるので、今回は月ベースで何をやっていたか、仮面浪人をするとしたらどのようなスケジュールで活動する事になるのか、という事を(あくまで一サンプルに過ぎないですが)、イメージが湧きやすいように具体的に書いていこうと思います。

 

三月

・受験終了(一浪)

・落ちた勢いで本ブログ開設。

・0.1666点差で落ちた事を知り、微妙な気持ちになる。

・最初はやり切ったと思っていたが次第に微妙な気持ちになり、傷をなめ合い用に新たなTwitter垢を作る。

 

四月

・入学式。応援団の勢いと肩を組んで歌い出した在校生に圧倒される。

・初めてスーツを着たこともあり、心機一転ここで頑張ろうと思う。

・新歓で疲れ果てる、軽めのバスケサークルに入る。

・本格的に授業始まる、時間割決める、パソコン買う、クラスの人との関わり増える。

・英語の簡単な本を図書館で借りて読み始める。

 

五月

・浪人時代の教材を整理、感傷に浸る。

・クラス会に参加。

線形代数、マクロ経済むずくね?

・現役、一浪共に行かなかった五月祭に何故か参加。ブログ読みが趣味になっていたので東大多浪本を買う。

・悩む余り、夜の公園で○○塾、〇会に仮面浪人の相談の電話をする。

 

六月

・自分探し的なサイトを読みふける。

オナニーマスター黒沢読んで沁みる。

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・大学の行き帰りの電車で割と泣きそうになる。

 

七月

・大学初の期末試験。

・記憶が無い。

 

八月

・夏休みに突入するも暇すぎて逆に病む。

・悪い判定をとって諦めるために東大模試を受ける。

・台湾に旅行、大凶的なおみくじを引く。

・今更受かった所で万事解決になるとも思えず決め手に欠ける。

・気分改善のため朝散歩を始めるが改善せず。

 

九月

・模試の成績返却されるもA判冊子掲載で逆に諦められなくなる

・10月のセンター出願期限が近づいてきた事もあり受験する方向に(九月下旬)。

・勉強記録付け始める。

・完全に出遅れているのでTwitterを辞める。

・21時まで図書館で勉強するように。世界史のタペストリー広げながら過去問解いている人いたなぁ…

 

十月

・センター出願。過去との決別のためという理由で、受験を決意。

・ブログで受験を宣言、どんな結果であれ今年で受験を終える事も一緒に誓う。

・センター模試受けるat早稲田大学

・禁欲生活始める。

 

十一月

イチョウが滅茶苦茶綺麗。

・東大模試(秋)受ける。

・禁欲二か月で終了。

・一日8話の無料漫画が生き甲斐に。孤独すぎて漫画のコメント欄が滅茶苦茶面白く感じる。

 

十二月

・センタープレテスト受ける。

イチョウが散って銀杏伝説に哭く。

・男女混合の音楽系サークルと帰りが一緒になる事が多くてあまりの眩しさに舌を噛み切りそうになる。

・空の写真が異常に増える。上を見る機会が増えたから?涙が零れないように

 

一月

・なんとなく成人式参加、センター五日前なのであまりテンション上がらず。

・三回目のセンター、過去最高にプレッシャー。二度と受けたくない。

・なんとか92%を取り過去最高点をマーク。でも二度と受けたくない。

・センター直前から大学の期末テスト始まる。

 

二月

・東大入試本番。

・一日目の数学であまり上手くいかず、ヘラりかけるが一浪目の経験を生かして切り替える。

・受験太り解消のためにランニング始める。

・解放感。

 

三月

・東大合格。

・在籍大学の退学の手続きと東大の入学手続きを行う。退学の手続きは合格発表後でも間に合う。(僕の所は、なので気になる人は教務課に電話してもいいかも)

・担任にだけ合格報告したら同学年の奴にバラされる。

 

要約

・三~九月まで受験するか大いに迷う(この時期が一番辛かった)。

・九~二月、受験に集中。

 

 

ワンポイント解説

サークル

四月に一応入サー。(活動拘束時間が)軽めのサークルを選んだが、男女混合で思ったよりもつまらなかったり、毎回来るという感じの人が少なくてあまり仲いい人を作り切れなかったりして秋学期以後は行かなくなる。まぁ合宿とかに行かなかった僕が悪い説は濃厚。

 

友人関係

四~五月、結構積極的に話に行ったため、ある程度は話すようになる。六月後半から人生に疲れて段々一人になりがちに。夏休みを経て、席が固定の授業で隣の人と少し話す以外は人と会話しなくなる。大学で誰とも話さずに終わる日も結構ざらだったので、孤独に耐えきれなさそう人は一人は相談できる大学の友人を作る事をおすすめします。

 

大学の授業出席・成績

一回遅刻したがそれ以外は皆勤した。でも取捨選択することも大事だと思う。皆勤する事がいい事なのではなく、出られる授業だけ取って、惰性で切る事はなるべくないようにする事が大事なように思われる。授業で大学に行くのは生活習慣崩壊を防ぐ効果も期待できるので全部切るのはお勧めしない。

(前期の時間割・成績)

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週15コマ、GPA3.55(線形代数B、統計B、それ以外はS)、一日3コマより多く取るとキツいという感覚を得る。

 

(後期の時間割・成績)

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週9コマ、GPA3.5(英語セミナーA、線形代数A、それ以外はS(統計とマクロは勉強し直した))

上限まで取ると後3コマ般教を入れられるが、辞めた。英断だったかもしれねぇ。

結果、通年でGPA3.53、38単位取得。ちなみに単位は東大には一切引き継いでいないので良い成績を取っても無駄と言えば無駄だったが、大学は無駄なこと(短期的には無駄に思える事)を学びに来ている場なのでしょうがない。でもリアぺとか書くときに去年やった内容が活きる場面はまぁまぁある。

 

センター前後

1月13日成人式→1月18日期末試験(英語セミナー)→1月19・20日センター試験→1月21日~28日期末試験

成人式は行くか迷ったが、行かないとなんでこなかったの?と聞かれそうだったので高校の方だけ行くことにした。成人式に行く代わりに其の前までは集中するという考えで正当化。センターと期末試験が被らないかは学部に依るので注意。授業自体には出ていたので、期末試験の負担はそんなに重くなかった。期末試験期間中は大学の事だけをやると決めていたので受験勉強は一旦辞めた。

 

二次試験まで

期末試験が終わってから本番まで一か月はあるので焦り過ぎず受験に集中。期末試験でやれていなかった分、センター後特有のゆるみもあまりなく過ごす。ひたすら過去問回す。受験が終わったら一気に自由時間が増えて頭おかしくなるのでやりたいことリストとか作っておいてもいいかも。

 

一日の活動スケジュール

・前期:暇な時間に英語の本読む、去年やらなかったプラチカを暇な時にやるくらい。

 

・後期:朝は弱いので起きれず。奇跡的に1限に必修が無かったので毎日9時くらいに起床。基本的に3、4限と5限終わった18時から閉館(21時)までで大体5時間〜5時間半位は自習に確保出来る。通学時の電車で単語帳や英語の本読んでる時間で1時間半、家に帰ってからしんどいが1〜1時間半くらいやって就寝。こんな感じで平日でもやれる日は7〜8時間はやっていた。ただ死んでる日も多く、十一月前半とかは二時間とかいう日も結構続いていた。遊んでたというよりは多分大学の課題が色々重なっていた時期だったと思われる。

 

予定管理

一人で過ごす事が多かったこともあり、スケジュール管理はしっかりするようになりました。大学の予定と受験の予定で分けてから自分の大まかな予定を立てるといいと思います。あまり綿密にやり過ぎてもどうせうまくいかないので模試までの期間から逆算して一日のやる事を決める、みたいな感じが良い気がします。

仮面浪人は時間が無いので、とにかく焦ると思うんですが、予定とやる事をノートに書いて一つ一つ潰していく事で今までやってきたことが目に見えるようになるので、焦り過ぎて夜布団に入ってから値付けない人とかはお勧めです。いくらストイックな人でも可視化しておけば、「完璧でない」と思うことはあっても、「この分はやった」という事は否定できなくなるはずです。

 

 

終わりに

今回は具体的な仮面浪人の生活のイメージを持ちやすくするために自分の一年を振り返ってみました。仮面浪人は成功率が低いとか、百害あって一利なしとか、仮面浪人という選択肢だけはないって!とか言われているので、中々踏み切れない人も多い(というか自分がそうだった)と思いますがいかがだったでしょうか。参考になれば幸いです。次回は他の人にはあまり参考にならないであろう自分の心情的な部分を中心に振り返っていきたいと思います。

 

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お気に入りの撮影スポット(構内)だったが撮る度に他界他界したくなって困った。

 

 

 

線とアケルと荘子思想(共通テストで失敗したあなたへ)

はじめに

新年明けましておめでとうございます。夜中どころか昼間にもLINEが来ない男ケビンです。皆様いかがお過ごしでしょうか。共通テスト受けた方は一先ずお疲れ様でした。僕は年末唯一の予定であった忘年会で、高校の友達からいつの間にか作ったと言うJK彼女との生々しいエピソードを聞いてなんというか微妙にげんなりしております。クリスマス?新年明けた?だからなに?、どの時間もこの一度きりしか無いんだから全て同じ価値なんだが?と息巻いていた方もいるのでは。

前回時からかなり時間が経ってしまい、申し訳ありません。東大の大学生活についても書きますとどこかで言った気がしたんですが、大分薄味の生活を送っているのであまり書くことが思いつきませんでした。

今回は線とアケルと荘子思想という事で、バカとテストと召喚獣みたいですが、大学でやった内容をふわふわっと何となく恣意的に取り込みながら、受験生へのメッセージ的な何かを書いてみようと思います。ここ、テストに出ません。

 

荘子思想

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荘子(荘周)は戦国時代の宋という国に生まれた思想家です。諸子百家とかの時代の人ですね。この時代はその名の通り、戦の激しい時代(キングダムの時代)で、宋の国も斉という国に最終的に敗れてしまいます。韓魏趙燕斉楚秦の斉ですね。荘子の思想といっても色々あって、胡蝶の夢とか井の中の蛙大海を知らずとかが有名な逸話ですが、今回は一番メインとなる二つの思想を紹介したいと思います。それが万物斉同と逍遥游です。

 

万物斉同

万物斉同とは文字通り万物は(道という根本原理から見れば)一つの同じものだという思想ですね。斉も昔は同と同じ意味で使われていたようです。二字で構成された言葉のそれぞれが同じもしくは逆の意味を持つ事が多いというのは受験漢文で結構役に立ちます。報道という言葉から道に報と同じ意味がある事や、告白という言葉から告=白で白にもうすという読みが有る事が分かる、といった感じです。万物斉同の話に戻りますが、荘子はなぜそんなふざけた思想に辿り着いたのかを考えてみると、やはり彼の時代が戦乱の世だったという事に関連していると思われます。なんでそんなに争う必要があるのか?という問いが彼の根本にはあったようです。彼のこの思想の理屈は「人間の能力(知性)の限界」という所からスタートします。これは人間の世界に対する認識能力には限界があるという事です。現代社会にいる僕たちであっても世界の全てを認識しているとはとてもじゃないですが言うことは出来ません。紫外線や赤外線が一々見えてたら誰が屁をすかしたのかすぐ分かってしまいますし、スケスケだったらスカートの中身に風情を感じる事もないはずです(見えないから価値がある)。視界に入った世界の情報を全て受け取ってしまうと脳の処理能力が追い付けないため、必要だと思われる情報以外は少なくとも意識に上がる前に切り落とされているわけです。このように世界を把握する力に限界を持つ人間は「分節」という行為で対応します。世界をまるっと飲み込めないので切り分けて対処しようという事です。これは人間であれば誰しもが行っている筈の行為で、例えば世界と自分の境界が曖昧だった赤ちゃんが自分と他者を切り分けて考えるようになったり、言葉を使って世界を分節する事でよりクリアに認識できるようになったりという話です。(灰色という言葉を知らない状態で灰色のものを見た人は白か黒としか思えないわけですが、灰色という言葉で細分化する事でよりクリアに世界を認識できるようになったと言えます。)

問題はここからで、荘子はここに争いの原因を見出します。それは「人間では上手く世界を線引きできない」ということです。これを荘子は絶対性という事に着目して述べます。美醜とか善悪とか是非とかそういう事の基準って時代や地域によってかなり違っているよね、それ全然普遍的なものじゃないじゃん、と言うわけです。平安時代の美人と今の美人像は大分異なりますし、現在の人同士であって熟女好きからロリコン、同性愛者など様々な人がおり、美醜の基準というものが人によって全く異なるという事は理解できると思います。善悪や正義を決める線引き(こっからは善、こっからは悪的な)というものが時代、立場によって大きく変わる、絶対性を欠いた存在であり、この線引きが上手く出来ない理由として荘子は人間の知的能力の至らなさを挙げているのです。つまり、本来一つのものである万物(だから分節するのはナンセンス)を、それをマルっと認識できないがために、不完全な分節能力に頼って世界を認識せざるを得ず、しかもその線引きを絶対的なものと思い込んでしまう為争いが生まれると考えたわけです。(線引きがどうみても時代や地域ごとに異なっていて不完全=絶対的な境界線を引くことが出来ていない→人間が無理やり、勝手に、認識能力のメモリ不足で絶対的でない、つまり本質的でない線引きをしている→その余計な線引きを取り払えば万物は一つであるはずである=万物斉同)

何故絶対的でない線引きにそんなにこだわって人生無駄にしてるの?というのが万物斉同から導かれる荘子の考えだと思います。美醜も、善悪も、是非も、東西も、生死もなく全ては一続きというわけです。例えば生死については、たまたま人という形で今存在しているだけで、死んだら世界に帰っていくだけであるという考え方になります。ただ単に人とかトリとか虫とかという形を一時的に取っていたに過ぎないと考えるわけです。荘子は彼の妻が亡くなった時も枕もとで踊っていたという逸話が残っていますが多分この生死の一体性を理解していたからなのでしょう。

僕は昨日食べたカレーもカラスもコオロギも渋谷ギャルも全て一つという考えが、中々しっくりこなかったのですが、色々悩んだ結果、砂とか太陽とかで例えれば分かりやすいのではないかと思うようになりました。砂で城を作ろうが、LOVEと書こうが、ひょうたんを作ろうが、すべて根本からみれば砂なわけです。荘子に言わせれば現在の僕たちが別々のものとして認識しているのは太陽の表面から燃え上がった太陽フレアが一時的に色々な形になっているのを見ているだけで、それらはまた太陽に戻っていくため元を辿れば全て太陽だという事になります。

 

逍遥游

万物斉同が長くなってしまったのでこちらは短くしますが、これは簡潔に言えば散歩する感じで何にも囚われずに自然に生きようという思想です。本来一つのものを別々に考えている時点で荘子からすればナンセンスなわけで、そこに拘る事は無価値だと彼は考えているようです。本来「一つ」であるものは僕たちが認識する別々のものを生み出すものが全て入っている、いわば大元なので「渾沌」でもあります。神話系は大体渾沌(カオス)から世界がスタートしますよね。この渾沌は人間が何も認識できないという意味で「無」とも言われ、これはこれで仏教の空とか物理の真空とかと関連していて面白いのですが割愛します。何はともあれ、世界をまるっと一つのものとして認識できず、下手に不完全な線引きをして争いを生むくらいなら、渾沌を渾沌として飲み込み、こだわりというナンセンスな行為をやめてただ変化に身を任せて散歩する感じで気楽に生きようというのが逍遥游思想でした。荘子は非常に受容的な哲学なのです。個人的な感想ですがこの「散歩」という表現がとても上手いなと思いました。散歩している時って、机に向かっている時とかと違って、何か特定の事を整理しながら考えてはいないような気がします。完全に何も考えていないというわけでもなく、日光が気持ちいいとか、期末試験嫌だなぁとか、さっきすれ違った人妻、前のサラリーマンには挨拶していたのに俺にはしてくれなかった!とかいろんなことが浮かんでは消え、浮かんでは消えしているわけです。これはまさに一種の渾沌状態だと言えます。要するにボーっとしている状態ですね。風呂に入っている時とかもこれじゃないでしょうか。渾沌からものが生まれるという考え方も結構馴染みやすく感じました。煮詰まって散歩に行くと不意にいいアイディアが浮かぶことがあるというのは科学者とかもあるらしいですし、アルキメデスが浮力の原理を見つけたのも風呂に入っている時だったそうですよね。荘子の逸話の中に渾沌という名の、顔がのっぺらぼうの王様の話がでてくるのですが、その話では最終的に彼が親しくしていた人間の王が好意で彼の顔に目と口を刻んでしまったせいで渾沌さんは死んでしまうという結末を迎える事になります。なんというか人間が勝手に線を引いている事に対する荘子の皮肉が利きまくっている話ですよね。

 

結局何が言いたかったの?

荘子思想の根幹は、万物は実質一つであり、その上に人間が勝手に境界線を引いたせいで生まれた個別という認識は全く普遍的な本質・真理ではないので、そんなものに執着するのはナンセンスだから辞めて、変化に身を任せて自然体で生きようねというものでした。なるほどねぇ、という感じ。彼にとっては時間も一体的なものであるので、過去、現在、未来といった区分はナンセンスであり、クリスマスも平日の水曜日も何ら変わらないわけです。しかし、ここまでぶっ飛んでいると、逆張りのプロといった印象も受けます。また、荘子の考えをはい、そうですか、と完全に受け入れてしまうとこの年で仙人という名のニートになってしまいます。というわけで東洋のギャクハリウスこと荘子の思想に無謀にも自分なりの一捻りを加えてみたいと思います。

 

My opinion

荘子にとって人為は不完全で余計なものでした。人為による勝手な線引きに拘るせいで無駄に争いが起きるからです。しかし、ここに反駁してみたいと思います。人為による線引きはナンセンス、というのは真理なのかもしれませんが、だからといって辞めろ、では面白くないのでもっと自分に都合よく使いません?と提案してみます。つまり、勝手に線引き出来るのが人為の特徴なのであれば、それを最大限に生かそうということです。クリスマスや新年と平日の水曜は何も変わらないだろ!と冒頭で息巻いていた方、正解です。何も変わりません。等価です。しかし、どの日付を特別という線で囲い込むかというのは個人の自由です(それが個性?)。クリスマスだから祝うのではなく、なんとなく自分が祝いたいと思うなら12月25日を祝えばいい。カップルが憎いなら祝う必要などないし、平日を自分だけのクリスマスにしてしまえばいい。平日のど真ん中でも自分がそうしたいと思えば祝日になり得る。「新年」を気持ちを新たにする機会として捉えるならば、新年は勝手に明けるものではなく、自分で開けるものなのである(「アケル」のタイトル回収)。終始の区別が無いのなら、どこを始めと決めようがどうせナンセンスなら、今がどんな状況であろうと今をスタート地点と設定して、気持ちを新たに取り組み直す事が出来るはずです。今からでもまだ自分の気持ち次第で再奮起出来る、というわけなので受験生の方、特に共通テストで思ったようにいかず現在とても苦しい方、諦めずもうひと踏ん張りだけ気張って下さい。僕は一浪の時センター試験で自分の目標としていた点よりかなり低い点を取ってしまい、柄に無く結構落ち込んだ経験があるので、あえて共通テストの後にこのメッセージを出す事にしました。一浪時の僕がこれを読んで納得したり気持ちが晴れたりするかは分かりませんが、僕にできる事はこの程度です。結構マジでその時は辛かったので結局精神論かよ、と思う気持ちも分かりますが、ここからは如何に効率的に時間を使えるかが大事です。納得せずとも机に座って過去問と向き合うと無駄なことを考えずに済むと思います。一旦ガツッと落ち込んだら後は勉強に集中しましょう。どうしてもやる気出ない時はスポーツ選手の頑張ってる試合とか見ると良い刺激を受けられると思います。荘子からみれば合格も不合格も変わらないわけですが、僕的には合格して嬉しいなら十分価値のある事だと思います。落ち込んでる暇、無いです。諦める理由、無いです。後一か月、試験終了後にやり切ったと思える事、そしてその後道が開ける事をを祈っております。

 

答えは全然得てないし、大丈夫でもないけど(なんかあまり準備する時間を取れなくて失敗してしまった期末試験、めっちゃ時間かけて書いたのに解答の指定からずれているとか言われてD付けられたレポート、対面試験を受けてみたら思ったよりみんな知り合い的な感じになっていて悲しくなった現実などなどから目を背ける事を辞めて)俺も頑張っていくから、、、

 

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法Ⅱ受けてる時の僕