Kevin's B-6

東大に0.1点差で落ちて悩んだ挙句後期から仮面浪人していた。何年か後にコイツこんな事思ってたのかwwwという楽しみのために書いている。

一浪東大受験生が2度目の東大合否発表を終えて。

本日は2019年3月11日、と言っても時刻は既に夜の11時を回ろうとしています。初投稿です。ケビンと言います。現代文教師公認で文章が捻れているらしいのでわかりにくいかと思います、申し訳ございません。

 

昨日、すなわち3月10日。東大の本郷キャンパスに行ってきました。私はこの1年、駿台御茶ノ水3号館で浪人していた一浪生でした。ほんの少し()だけ過去を振り返りましょう。

 

〜現役の時〜

 

現役の時部活を七月頃に引退した私は東大合格には絶望的状況でした。駿台模試E判定を取り続けて結局最後までE判定以外は殆どお目にかかれませんでした。またその程度の実力なので東大入試本番では英語の5番がほぼ解けずじまいで終わってしまいました。にもかかわらず、数学に手応えがあったのでなんとなく合格しているのではないかと心のどこかで少し希望を持っていました。そして本郷キャンパスに見に行くこともせずネットであっさりと不合格を確認しました。がなんとここまで行っても、僕はそこそこいい線行っているはずだと考えていいた底抜けの阿呆でした。結果は約77点差で不合格。これは随分と惜しいですよね!!

 

ちなみにこの時英語が本当に苦手だったにもかかわらず過去問をほぼやらなかった(時間的に出来なかった)私は無事早慶上智全落ちを決めており非常に晴れ晴れとした気分で駿台からのお招きを受けることを決めることとなりました。

 

 

駿台時代について〜

【前期】

説明会に行きクラス分けテストを受け、大量のテキストを手にして私はLAというコースに在籍することになりました。まずこの生活が始まってからの第一印象と言えば非常に狭苦しいことです。狭い教室に80人がひしめき合い、3人席の真ん中に配置された日にはトイレを行くのも一苦労。しかしその物理的に近い距離感もあってか1ヶ月もするとクラスは割と和気藹々とし始めグループが次第に出来上がってきました。

しかし私はというと浪人生活は1人で乗りきってみせるという謎の決意というかラノベ主人公を気取ってしまっており自分から人に話しかけることは皆無であり、結局唯一自分から話しかけたのも筆記用具を全て忘れてきてしまった時だけでした。

この時の私は『 1年あればなんだって達成出来る』が信条であり週に少なくとも1回はヒトカラを楽しみ、人と話すことも無くまとめサイトで怖い話などをひたすら読みながら過ごしていました。(とはいえ授業には全て予習を行って出ていましたが)ちなみに同じ高校の浪人生達は河合塾の本郷校に行く人が多く、文系で3号館にいたのは本当に私一人でした。。。(あんまり大勢知り合いがいる所に行くと群れてしまいそうだと思っての行為でしたが)

 

【後期】

夏休みを終え夏期講習を取りすぎて復習が間に合わなかった感を否めないまま後期に突入しました。前期の模試の結果で再びクラス分けがあるのですがぎりぎりLAに残留ということになりました。しかし大体LAの半分くらいしか受からないということは耳しており、A判定が今のところ1度も出ていない状況には私も珍しく若干の焦りを覚えていました。相変わらず友達は1人も作りませんでしたが、予習復習のサイクルを固め直し、その日のうちにその日の授業の復習、次の日の授業の予習を出来るように試みました。口で言うのは簡単ですが6限が終了し、6時間集中して講義を受けた後の眠気を押し殺しながら自習室に直行し閉館の21時までひたすら予習復習のサイクルを乱さないように勉強し続けるのは結構大変でした。後期はほぼ毎日閉館まで残っていましたがこれでぎりぎりサイクルを保てている状態でした。が、後期は模試ラッシュが待っており土日が潰れることが当たり前です。模試の復習が本当に大切であることを何故かいつの間にか悟っていた(現役の時は本当に全く模試の復習をしていませんでした)私は何とか模試の復習をやっていましたが、この結果土曜日の東大対策の添削授業の復習はほぼ出来ないまま終わってしまいました。

また私にはさらに懸念事項がありました。それは前期教材の復習です。前期教材は基本がメインであり(基礎だからといって簡単である考え方は非常に大きな間違いであるが)割と予習で出来てしまうものが多く、予習を重視していた当時の私は復習を後回しにしてしまっていました。確かに予習は確実に授業の理解度を高めますが、結局塵が積もって行くには復習で固めるしかないのです。流石の私も後期にはそれを理解していたので何とか少しずつ取り掛かっていたのですが本当に時間がありませんでした。それでも得意科目の現代文を除いてはほぼ復習をしました。

 

割と授業を切り始める人も見受けられるようになってきた中必死に食らいついたのが良かったのか成績は前期後期を通して徐々に上がっていきました。4月の頃一番最初の簡単な進研模試で偏差値70超え(多分)だったにも関わらずE判定をとって以来は大体C判定、ちょっと良いとB判定くらいは取れるようになってきていました。(文一はほとんどC判定でしたが。)そして駿台模試の最後である大学入試センター試験プレテストでは文IIIだけですが遂にA判定が取れました。ちなみにこのテストはセンターにしては大分難しく作ってあるものらしく、私の点は770点くらいでした。勿論、東大実践はC判定であり、東大は2次が大事であるため、センターは必要条件であるだけに過ぎないというのは分かっていましたが現役時ではE判定以外目にすることは無かった私にとってはセンター模試とはいえ最後の最後でA判定取れたことはなにか本当に東大受験生として認めれた感じがしてなかなかに嬉しかったです。

 

【来たるセンター本番】

白い息を吐きながら今までの、特に後期の勉強を思い出しながら俺なら行けると自分を信じて挑んだ2回目のセンター試験

 

結果は失敗でした。

 

しかも現役の自己採点と2点しか変わらず。原因は数学1Aでした。どうしてもある問題が分からず、今までの模試で散々解いてきている筈で、得点源であるはずのその問題が突然分からなくなり、あとはなし崩しに崩れていきました。60点でした。その前の模試2回では共に90を超えていたのに。当然2Bも切り替えようとしたものの奮わず82点くらいでした。なんということでしょう。私は夏の東大模試では数学で60点を取っていました。(簡単だったためだと思われますが)

『 やっぱ東大ってセンターレベルじゃん!』自己採点をしながら涙も出ない状態で脳内の私が叫んでいました。

合計は東大換算で750点。本気で9割は取るつもりだった私は、クラスの半分くらいが切っていた理科基礎の授業も毎回出た私は、というか前期後期を通して全授業1人で出通し復習もやり切った私の努力は、全て無駄だったように感じられました。

 

【センター後から二次試験まで】

私は非常に意地っ張りで頑固で、受験風に言うとめちゃくちゃ頭の四角い人間です。(サピックスに通ってしまったせいでしょうか)

要するに数学で1問詰まるとどう足掻いても切り替えられないタイプなのです。

そんな私がこの手痛い失敗をすぐに切り替えられる訳がありません。要するにお子様なんですね。が、親やセンター試験の点数が良かった友人の励ましもありその後三日間くらいは愚痴愚痴言いながらも何とか東大や私大の対策へ移っていきました。クラス担任の方と話し合った結果文一に出すことをしました。

 

【私大】

大受験生がセンターを重視する一番の理由はセンター利用で早稲田を取ってしまえば他の私大の対策への時間を全て東大二次対策に注ぎ込めるからです。これは地味にでかいです。が、750点程度の私は明治、中央、理科大しかセンター利用で取れませんでした。(当然ではありますが)

既に一浪の身では早慶上智を受けざるを得ません。しかしこの1年成長したとはいえ英語が未だに苦手な私にとって私大の英語はある意味東大の問題以上に恐ろしいものでした。(現役の経験から)仕方なく渋々嫌々ながら過去問に取り掛かります。

が、過去問を解いてみるとどうでしょう。ぎりぎりですが何とか時間内に終わらせることが出来るではないですか。また去年キツかった数学も全然解けるようになっていました。ここで私は、去年から結果的に見ればほとんど成長の見られないセンター試験の結果から離れ、自分の成長を思い出すことが出来ました。結果が全てという言葉は実際社会に出たらそうなのだろうと思っていましたのである意味私は結果至上主義になっていました。今でも抜けきれているとは思いませんが。早稲田2個、慶応2個、上智1個を受け、最終的に早稲田に一つ落ちた以外は全て合格という結果になりました。

 

【東大】

駿台生にもかかわらず本番一週間前に突然親が買ってきた英文読解の透視図という河合塾が出しているテキストに魂を売って無理やり終わらせたり、世界史の小論述だけでもと思って25ヵ年分終わらせたり…などなど自分の出来る準備はそれなりにしてきたという自信を取り戻し、目を閉じて糸目強キャラを演じながら駒場へ向かいました。

 

【1日目】

国語と数学です。

国語はかってないほど出来た気がしてます。

数学は滅多にないほど出来ませんでした。

文一はとにかくバランスよく各科目で取らないと受からないので、正直かなり絶望しました。しかしすぐいじけてしまう私ですがここまで来たらやり切るしかないと思って2日目に備えました。

 

【2日目】

普段の私なら寄ることは無かったでしょうが、なんとなく応援来てくれている駿台の人達に声をかけてもらいに行きました。クラス担任の方もおり、応援の言葉をかけて頂きました。ずっと意地で一人でやってきていた事を少なからず誇りに思っていたちっさい私に勇気を与えて頂きました。

社会は結構出来た気がしています。

英語は全力を出し切れたので今までで1番よかったのではないかと思います。

 

英語のあとは妙にスッキリした気分でしたが何故か2時間近く拘束された後解放されました。

ちなみに2日目にして気付いたのですがホリエモンと同じ教室でビビりました。(1日目視野狭!!)

 

【二次試験後から発表までの2週間】

去年全滅だった私大の桜が咲いていくことに一種の安堵を覚えつつ(特に早稲田のように合格者の受験番号を一覧として掲載している中に自分の受験番号があるという経験はなかなかしてこなかったので嬉しかったです。)東大の数学の失敗をなんとか他の教科でカバー出来ていないかという希望が頭から離れないまま、やりたい事も最早特に思いつかなかったため、まな板の鯉状態でピチピチしていました。

 

【来る3月10日】

センターで840点オーバーをマークしていた高校の友達に一緒に見に行かないかと誘われましたがこういうのは一人で見るものだろとカッコつけ、きちんと入ったことも無い本郷キャンパスへ向かうことを決めました。けじめとして。感動の舞台として。思い出の舞台として。

12時にネットで発表でしたが、今更焦ってもしょうがないし掲示は12時半からであり最初は相当混み合うだろうと考えたため13時に着く予定で出発しました。結果迷って13時20分くらいになってしまいましたが。そのためちょうど赤門に着こうとする時誘ってくれた友達に会いました。彼の結果は合格でした。私はここが度量の広さを見せる時とばかりに何度も祝福の言葉を投げかけそこで彼と別れました。

赤門をくぐり目を腫らした人、見るからに喜んでいる人を横目に掲示の前まで進んでいきました。迷ったことは功を奏し極めてスムーズを進むことが出来ました。

さて、文科一類掲示の前に立ち自分の番号を探しました。

 

結果、私の番号はありませんでした。

3回ほど舐めまわすように見ましたがどう見てもありませんでした。

隣のひとの番号はあったようで、一緒に来ていたその子のお父さんがお前は最高点かもしれないぞ!なんて言っているのが妙にはっきり聞こえながら一方通行と書かれた道をゆっくりと引き返し赤門を出ました。外には取材に来ている人も多く合格者を取材しているようでした。

 

現役生と見える軍団が合格の喜びを大声で語り合うのに追われるように、本郷三丁目の駅へ向かい、親に電話をし、不合格の事実を淡々と伝えました。1年浪人させて貰ったことや迷惑をかけたり世話をしてもらったことへの感謝を述べると、同じように一浪した後見事東大文一に入学した父親に『 お前は本当に1年間よく頑張ったよ。』と言われました。

 

電車内で半年ぶりぐらいにTwitterを更新して落ちたことを告げました。余裕ぶって、今年浪人したすべての同期への労いの言葉を添えて。落ちたのを察されるくらいなら自分から言ってやろうという啓蒙専制君主のような考え方で。

昼飯をKFCで買って帰宅し親から慰めの言葉を頂戴しつつ部屋に戻りクラス担任や高校の担任に受験結果の報告を行いました。

 

その晩ちょっと良いご飯を食べさせてもらい帰宅しました。Twitterでは一橋や東大や東工大に合格した人へのおめでとうリプに溢れ、私はというと中高6年を同じ部活ですごした何人かからお疲れ様の言葉を賜りました。

 

ベッドで横になりながら赤門に行く途中で見かけた目を腫らした人を思い出し、泣けもしない自分と比較して所詮泣けもしない程度の努力だったのかと思いました。なんで他の奴に出来て俺様に出来ないんだ?しかも半分以上は下の学年のやつとの試験であるのに。なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。

 

西尾維新みたいになってしまってすみません。

 

私はとにかく自分の可能性を信じて生きてきました。(たかが19年だと笑われてしまうかも知れませんが。)それこそ未来は無限大だと。きちんと積み重ねればどんな奴にも負けない。誰にだって引けを取らない。それだけのことが出来るはずだと。

さらにタチが悪いことに非常に傲慢な人間であり、基本的に色んな人にお願いされる形で渋々やってあげるという形で行動したいという思いがいつもありました。他者が自分より上に立って自分を馬鹿にしうる状態にある事が許せない、屈辱的でしかない。例えば浪人までしたのに東大に入れない早慶生と言ったような。

 

2年連続不合格という事実は(現役の時は部活を他人より遅くまで続けてたからしょうがないという言い訳ができましたが)否応無く自分のしょうもなさ、大したことなさ、取るに足らなさをはっきりと突きつけてきました。

 

私は再び得意のいじけモードに入りひたすら

『 東大 落ちた』で検索をかけ続け不合格体験記や多浪の末見事東大入学を果たした人や東大落ちた人へメッセージを送っている人のブログなどを読み漁りました。今短絡的に初投稿しているのはそういうわけです。

 

まあ多くの記事で共通していたのは大学に入ってから何をするかが最も重要でありこの大きな挫折は自分を大きく変えてくれるチャンスとなりうるということです。

 

なるほど。確かに私が東大を目指していた理由は

・その実績だけで多くの人に自分の凄さを手間       をかけず見せることが出来るから(面倒くさがりな私にとってはかなり魅力的だった。)

 

・他の人に出来て自分に出来ないはずは無いという事を証明したいと思ったから。

 

という2つの理由でしかなく何かを学びたいという具体的なビジョンは全くありませんでした。(駿台の授業は学術的興味を掻き立ててくれるような講師が多く漠然と深めていきたいことはなんとなくありましたが。)

 

大学とは自分を磨く場であり、東大でしか学べない何かを今の私が追い求めている訳ではありません。つまり東大に上記の2つ以外の理由でこだわる理由がないということです。確かに私は東大に入っていたらとりあえずその後は進学できる程度であればいいやという心づもりでした。

 

私の性格のもうひとつのポイントは非常に執念深い、良くいえば粘り強いことです。悪く言えば切り替えられない、諦めきれないことです。

例えば80人のクラスで本当に一日中誰とも話さず4月から1月のセンターまで1授業も欠かさず出席し続けました。(誰とも話さなかったのもここまで行ったら…という意地でしかありません。)

この前サイゼリヤに行った時も間違え探しの10個目がどうしても見つからず1時間以上探し続けていました。

 

つまりこの意地を貫き通すために今までやってきたそれなりの努力と突きつけられた不合格の間の辻褄合わせが出来なくなってしまったんです。

 

この晩4年ぶりくらいに泣きました。泣くことが出来ました。大学に突っぱねられたということは単に点数が足りなかったということでしかないということは頭では分かってはいたけれど悔しくて堪らなかった。他人より確実に劣ってしまった自分がいたたまれなくてしょうがなかった。たかが東大に落ちた程度で弱音を吐き、いじけて他人からの慰めを待つような(コメントはお待ちしております)そんな自分の小ささが嫌で嫌で嫌だった。受験が全てじゃない、そんな事は頭で理解出来ても、数学で1度詰まったらその後決して切り替えられないような私が1年間貫いてきた(つもりである)意地を切り替えられるわけがない。

 

早慶だって十分良い学校なのだろうし東大に入った人以上の人間に卒業時になる事も充分可能なのだろう(多分)

だが私にはそのために大学でも必死に毎日を送り続ける気力というかそれを為す決意への覚悟がもてないでいる。

 

1度決めたら基本的に投げ出さずに生きてきたつもりだ。それゆえに向こう4年間頑張れる目標もなければモチベーションもない状況で安易に口に出来ない。達成出来ない恐怖を知ってしまったから。自分を信じきれなくなってしまった。確かにこの1年間で確実に成長したが結局目標の東大には辿り着けなかった。東大は目標ではなく通過点という考え方もあるが落ちた人間が言ってしまったらそれは単なる負け惜しみにしか聞こえない。

 

暗い。cry。無い無い言っててもしょうがないと思いつつも前を向ききれない自分が哀れで惨めでそしてかわいらしい。

 

たとえ今後研鑽を重ね素晴らしい資質を備えた人間になれたとして東大に落ちてよかったと言えるだろうか。はっきりいって自信なし。今まで虚勢、楽観主義、全能感、あらゆる手段で自分の根拠の無い自信を保ち続けてきた私だが今それがいよいよ崩されそうになっている。いずれ誰かには負けるのだから挫折には慣れておいた方がいいのだろうか?だがどうやっていい方向に昇華すれば?俺は東大合格者に劣っているのか?他人と比較して意味はあるのか?比較しないことは逃げではないのか?

 

 

満足したらそこで終わりだ。積み重ねではなく常に変化を。常に改善を。常に試行を。常に思考を。常に挑戦を。挑戦しなければ大きな成功は得られないし失敗しなければ次の成功を作る要素は見つからない。

これまで1つをやり通すと謳って自分に厳しいふりをして変化を恐れてきた私にこのハングリー精神は身に付くのか。恐らく身につかなければ今後一生腐ったままような気はしている。

今あるものに満足していればいるほど変化は難しい。ならば今こそ最大のチャンスなのではないか。

 

切り替えて大学生活を充実させることが出来るのかそれとも一生切り替えられないままなのか

僕の人生のナレーションでは実に見物であると言っているような気がする。

 

とりあえず近々届くであろう成績開示でも待とうと思います。

 

初投稿なのに書きすぎたってばよ。