Kevin's B-6

東大に0.1点差で落ちて悩んだ挙句後期から仮面浪人していた。何年か後にコイツこんな事思ってたのかwwwという楽しみのために書いている。

世界史という教科

Twitterで東大合格者の開示を見る度にカカシ先生の『さらにもう1発』を食らったオビトのような顔をしております、ケビンです。f:id:kevin0029:20190419100628j:image

 

さて、最近文句しか言ってなかった気がするので今日は割りと気楽めに浪人中に感じた世界史という教科について自分の考えを記録しておこうと思います。(語るとかいうと烏滸がましいので。)

 

 

まずは歴史とはなんなのかという話です。

これは割と現代文のテーマにもなってますよね。大抵一般的な考え(現代文ではこれをひっくり返すのが普通)が、『歴史とは全ての個々の事象の積み重ねである』という考えで、筆者の意見は『歴史とは現在に何らかの影響を及ぼす、その意味で現在を形作っている、記録する価値のある出来事』といった感じですかね。

 

結局歴史とはどこか別世界のファンタジーじゃなくて自分たちの世界で起こった話であり、特に教科書に載っているような事柄は大体現在の私達の生活に結構影響を及ぼしているという認識を前提として持つことが結構大事だと思います。

 

つまり何千年も前の人の考えが現代でも有効であったりする場合があるということです。アリストテレスの論理学とか、ローマの拒否権の考えが国連にも採用されてたりとか。それってなかなか凄くないですか?

 

じゃあ次に歴史を学ぶ方法って何なの?って話です。理系の方にはプリントの穴埋めやって暗記するだけの科目でしょ?全然頭使ってないじゃん、だから文系は嫌なんだよ。という意見の方が少なからずいると思います。

 

私も昔はそうでした。文系でしたけど()

高二までは授業はおやすみタイムで、テストは一夜漬けで90点くらいは取れました。

高三からは授業を聞くようになりましたがそれも、ちょっと余分な知識があった方が覚えやすいと思ったから。というだけの理由でした。

 

でもまあそのおかげか、私立のような細かい知識まで覚えてしまい、定期試験や模試では大抵高得点でした。

 

しかし、ここで高い高い壁にぶち当たります。そうです、東大の論述です。私の現役時の世界史の点は21点でした。センターは98点だったのに。

 

何故か。簡単です。極端に言うと模試は単語を聞いているだけです。事実関係とかわかってなくてもとりあえずこの辺りだとプリント何ページの右上にあったアイツだろうなーという感じでソイツの名前を捻り出せるか、出せないかという勝負でしかないのです。

 

が、論述は違います。頭で整理されて分かっていないことは絶対に書けません。

単語だけに気を取られ(当時は事実関係も押さえてるつもりでしたが)、Aという出来事を説明しろと言われたら因果関係よりもB、C、Dって単語が出てきてたなっていう認識の方が強かったので私はやられてしまったわけです。

 

まぁ落ちても東大やるやんくらいにしか思って訳ですが、駿台の授業を受けているうちに徐々に勉強のやり方間違ってたなーというのに気付いていきます。

 

ここで言っておきたいのが、高校時代で頭に入れた単語は無駄ではなかったという事です。自分が知っていると思っていた単語が意外な関係性を持って繋がっている、知識と知識が結びついていくというのはなかなか面白いものでした。

 

まとめますと、論述を書く上で一番大事なのは誰が何をどうしてやったのか。という事です。

後はこれを如何にコンパクトに書くかという問題ですがここで教科書の出番です。

 

が、この教科書がなかなか曲者でして、とにかく分かりにくい。論述で使うべき文章そのものが沢山転がっている宝の山ですがそれを繋ぐ因果関係が弱い。それを書いていたら何冊も必要なので書けないという教科書会社側の理由は分かりますが、きちんと理解するためにはやはりその因果関係は避けては通れません。

 

じゃあそれはどうやってそれを手に入れるのか。

とにかく先生を使い倒しましょう。自分で調べると死ぬほど時間かかります。私は先生に質問もしましたが自分で調べてしまい、非効率だったかなーと今考えると思います。(受験は時間との闘いなので。)

予備校の先生は大学教授になれなかった人がなるみたいな印象を持っている人が結構いるかと思いますが、彼らは(当然ですが)(特に超難関大コースなどを任されている人は)めちゃくちゃ勉強してます。自分でやるという意識も大事ですが、合格という目標を見失わずに先生を頼りましょう。

後、調べ直してる時間とか無駄なのでなるべく簡潔に図式化して忘れたらすぐ見れるような形で保存しておきましょう。

 

 

受験勉強というタイムリミットがある勉強の話はこれで終わりです。

 

 

個人的には次の話が結構大きな発見でしたが、受験においてはやらなくていい事だったり、そんな時間あるなら英数やっとけ!という意見が正論であるような内容なので見たい人だけ見てください。

 

 

 

『歴史の興味の持ち方について』

突然ですが、皆さんは、特に受験生の皆さんは教科書や資料集を作る側の人の気持ちを考えたことってありますか?勉強した感を出すために鉄壁をお茶にぶち込むような人達を批判している訳ではありません。

何故資料集というものに模式図や写真が多く含まれているのか考えたことはありますか、何故模試で写真問題が出たりするのか考えたことはありますか?という話です。

 

私は夏頃ふとそれについて考えました。結論はすぐに出ました。

 

図式化されているのは編集者自身がそのように覚えていて、またそのやり方が受験生にとって文であれこれ書かれているよりも遥かにわかりやすいと考えているから。でしょう。

 

じゃあ写真やイラストが豊富に掲載されているのはなんで?

 

それは、受験生に『想像』して欲しかったからでしょう。

 

想像を掻き立てる道具、きっかけが写真や当時の様子を描いた絵なのだと私は思います。

 

つまり当時の人の目線に立って、どういう気持ちでこの行動をしたのか、この法律を作ったのか等という事に注目してみるという事です。特に気候はかなりのキーポイントです。

 

抽象的な話ばかりではピンと来ない人もいるだろうと思うので例を出しましょう。

 

 

f:id:kevin0029:20190420135702j:image

上の図は大西洋三角貿易の模式図です。

皆さんは、何故ヨーロッパからアフリカに武器を送ってるのか?を考えたことはありますか?

そもそもそんなことを疑問に思っていませんでしたか?

 

答えは簡単で、奴隷を捕まえるためです。

つまり、私たちはアフリカと聞くと奴隷にされ続けてきたかわいそうな人達という勝手なイメージを持ちますが、実際にはアフリカにもイギリスと取引して、武器を購入し、現地の同じ民族の人々を奴隷として売りさばいて儲ける王国があったという状況まで掴むことができます。アフリカで誰が現地の人たちを奴隷にしていたのかという疑問は貿易の状況を想像することから生まれるわけです。

また、綿布を毛織物等と混同する人も割と居ますがこれも状況を想像することが出来ていません。毛織物は寒い地域で売れます。今もウールのコートとかありますよね。そんなモコモコしたものがクソ暑いアフリカの環境で売れるはずがありません。

 

 

もう一例出しましょう。

皆さんはミズーリ協定をご存知でしょうか。

何故あの位置で線引きがされたのか考えたことはありますか?

 

誰が奴隷を何のために必要としていたのかを考えれば分かります。

 

それは南部の人々が、綿花プランテーションのために、ですよね。なんで北部の人は作らないのか?と考えたことはあるでしょうか。地理を勉強している方なら分かるかと思いますが、作らない、のでは無く作れないんです。気候的に。綿花は霜が降りる環境では育てられません。ヨーロッパで砂糖が奢侈品だったのもサトウキビが温暖な気候でないと作れないからですよね。

そういうわけで、ミズーリ協定は綿花の栽培限界くらいの位置で、これより北は綿花作れないんだから奴隷州にする必要ないよね?ってことであの位置になったわけです。

 

とまぁこのように何か疑問に思うことで様々な知識を繋げて、体系的に知ることが出来ます。これは、どこか一部を忘れても辿っていけるという点で丸暗記とは決定的に異なるわけです。

 

疑問を持つためには想像する、他者の目線に立つ事が必要です。そのための写真やイラストです。想像しましょう。想像しましょう。

 

大論述でもこの状況理解というのは必ず活きてきます。

 

最後に歴史を学ぶ意味…ですがこれは過去の過ちを現在でまたやらないようにするというのが1番でしょうね。これについてはまだあまり実感がありませんが。

 

 

 

 

 

さて、ここまで書いてきてこれを言うのもアレですが、東大合格を置いて世界史という教科はそこまで重要ではありません。何故なら点数配分が小さいからです。やはり合格の必要条件となるのは英数でしょう。それは私が身をもって証明することとなってしまいました(泣)(憤怒)(吐)

 

が、それでもこの1年で世界史という教科に対する自分の考え方がかなり変わったし、一応点も2倍以上になったので何かの参考になればな、と思い、書きました。ではまた次の記事で。