Kevin's B-6

東大に0.1点差で落ちて悩んだ挙句後期から仮面浪人していた。何年か後にコイツこんな事思ってたのかwwwという楽しみのために書いている。

仮面浪人になるまで心情の吐露

はじめに

こんちくわ。ケビンです。今回は前々回の記事の続きということになりますが、自分が受験を終えてから早一年近くが経過したという事で、今回で一応受験関連の話は終えようと思います。今回の趣旨は、最後の締め括りとして、仮面を考え始めてから決断に踏み切るまでの期間に何を考え感じていたのかをもう一度言語化して、自分の中で整理しておくということです。自分語り的要素がかなり多めになると思いますので、興味ない人は前々回の奴を読んでください。

 

仮面浪人に至るまで

僕の場合仮面浪人をすると最終的に決意したのが10月の頭頃なので、仮面に踏み切るまで約7ヶ月を要した。何故ここまで時間をかけなければならなかったのか。その理由は簡単に言えば仮面浪人という博打をしてまで東大に行きたい具体的な理由が無かったからである。しかし逆に言うと具体的でない理由ならあったし、普通の人には無い筈の仮面浪人という選択肢も心のどこかに残り続けていた。極めて個人的な話だが何故そんな状況になったのか、言葉にしてみたい。

 

仮面浪人という選択肢を消せなかった理由

返却された開示を見た時、何を思ったか。正直数学以外はある程度実力通りだから仕方ないと思った。センター試験での失敗を二次で結構挽回できていたのを見て、自分のこれまでの勉強が現れている事にある種の安堵さえ抱いた。センター2点分と思うと悔しかったが、何処かでラインを引かなければならない以上、そういうものだと割り切るしかないと思った。だから合格を貰っていた大学にそのまま入学したし、受験の痛みも大学生活を過ごす中でその内忘れる事ができるのではないかと思っていた。東大に行って何かしたい事があった訳ではなかったので必ずしも東大に行く必要はなかったからである。しかし話はそう単純ではなかった。

受験勉強中、大学生活で何をしたいのか(○○系の学問をしたい等という高尚な事に限らず、バンドやりたいとか女子とイチャイチャしたいとか部活に打ち込みたいとかバイトしてみたいとか)、そういう事を一切考えたことがなかった。どうしようもなく今を生きていたので受験の後のキャンパスライフなど想像してみることさえしなかった。

しかし、自由な分、自分から動かなければ何も起きない大学という場所では、何かしらの団体に深くコミットしなければ他人に受験の傷を癒してもらうなどという事は出来る筈もない。そんな訳で具体的なビジョンも無く受け身で大学に入った僕は傷を中々癒やす事が出来ず、結果的に仮面浪人という選択肢も心のどこかに残り続けた。

 

具体的でない受験する理由

上で東大を目指す具体的でない理由ならあると言った。より正確に言うなら理屈ではない理由である。正直に言って、頭では二浪してまで東大に行く意味は(少なくとも僕個人には)無いと理解していた。東大でのキャンパスライフを想像することさえしてないような人間なので当然オープンキャンパス等には行ってないし、そもそも2回も落とされたことで東大への愛着的なものもほぼ無くなっていた。

では具体的でない理由とは一体何か。それは、「自分は何やかんや東大に行く筈だ」という遥か昔から僕が持ち続けていた謎の思い込みである。

将来の夢を一度も具体的な職業に絞れた事がないほど未来のビジョンを持っていないにもかかわらず、自分は何か凄い人間になる筈だという謎の確信だけは持っていた僕は、そのビジョンの不透明さ故に、取り敢えず凄い人ならまぁ東大くらいは出ているでしょ。位のざっくりとした感覚の下、自分の中で東大に行くことを確定事項にしてしまっていたのだと思う。いつからそう思ってしまっていたのかは分からない。保育園の頃からかもしれないし中学受験に失敗した時からかもしれない。恐らく父親が東大出身だったと言うこともあり東大という名前だけは身近だったためそんな感覚を持つに至ったのだと思われる。東大について何の知識も持っていなかったので、東大に行くはずだという僕の謎の思い込みは東京大学に行くはずだ、では無くどちらかと言うとトーダイに行くはずだ、に近い。ラブひなみたいな感じである。ラブ要素は無かったが。

f:id:kevin0029:20210329021329j:image

──ふーん…

 

そんな訳で、数多くの将来への分岐を放置していた僕が唯一分岐を許さなかった点がトーダイ進学なのであった。自分でもそこまでこの思い込みが自分の中に浸透しているとは、トーダイでない大学に入学するまで気付かなかった。最初は軽い気持ちだったのだろうが、年月とは恐ろしいもので、長年自分の中に溜め込まれているうちに何の理性的な理由もなくただ思い込んだトーダイ進学という出来事が自分の中で必ず起きなければならない分岐の収束点になってしまっていた。この可能性を完全に切り落とすのは相当自分にとって辛かったのである。これが理性的でない理由である。

 

付け加えると、仮面浪人という選択肢を消せないままズルズルと過ごしたのは、受験前に東大に落ちた場合についてどうするか確実にしっかりと決めていなかったせいである。より具体的には、長い年月を経て完全にそうなるはずだと思い込んでいたトーダイ進学という可能性を剪定する覚悟を決めていなかったためである。

頭ではやる意味は無いと分かっていても容易にその可能性を切断出来ないほど自分の中でトーダイに行くはずだという思い込みが深く根を張っていた事に、東大でない大学に入った事で気付いたのである。

 

 

結局どうやって決めたか

頭では仮面浪人してまで受験する必要は無いと思っているが、自分の中に浸透してしまった思い込みの為に東大進学の可能性を完全に断ち切ってしまう事も出来ない。そんな感じで7ヶ月悩んだ。他にも仮面浪人のスケージュールの辛さや成功率の低さ、もう一度落ちた時に精神的に耐えられるか等も悩んだ原因に入っていると思う。個人的には学歴コンプという要因はそんなに大きくなかったと思う。人前で自分の所属していた大学名を言っても特に何とも思わなかったし、東大に行った友達と会ってもそこまで引け目を感じるわけでもなかった。

結局どうやって決めたのか。最後まで受験する積極的な理由は見つからなかった。9月終わり頃に決定に至った1番大きな理由は、悩んでいることに疲れ果てたからである。悩むという行為は存外体力を使う。大きな決断についてであれば尚更である。結局は悩み疲れ、センターの出願が近づいてきて、大学で大した交友関係も築けていなかったのでここまで来てしまったのなら、という事で受験する事にした。頭より心を優先した形になるが、以前とは異なり、受験決定と同時に今回で必ず受験を辞める事も決めた。可能性が剪定される覚悟を事前に持つことで、また同じ轍を踏んでしまわないように。東大進学への最後の可能性に望みをかけつつ、落ちた場合はキッパリ諦める覚悟も決めたのである。

 

おわりに

以上が僕の仮面浪人に至るまでの心情でした。実際に勉強を始めてからは、ある程度やらなくてはならないことが決まっているし、とにかくベストを尽くしてどんな結果であれ受験を終えるということを目標にしていたので、勿論苦しい時もありましたが、なんとか周りの支えもあって乗り切ることが出来ました。ある程度人生を左右する決断を完全に自分の意思だけで行うという経験はこれまであまりしてこなかったのでその点、今回の決断はいい経験値になりました。今後も大きな決断をする機会が何回かあると思いますが、結果をキチンと想像しつつ、受け入れる覚悟を決めてから決断を下していきたいと思います。

それでは、最後まで読んで下さりありがとうございました。また、次回。