Kevin's B-6

東大に0.1点差で落ちて悩んだ挙句後期から仮面浪人していた。何年か後にコイツこんな事思ってたのかwwwという楽しみのために書いている。

浪人生活の締めくくりと今後について。

皆さんこんにちは。ケビンです。3月12日に書いた渾身の記事が中学受験を控えたお母様に読まれたのみという事実を受け止めきれずに皆さんという表現を使ってしまいました。(読んで頂いたお母様本当にありがとうございます。)

思ったことを書いていくので文の構成がおかしくなってしまうと思いますがお付き合い頂けると幸いです。

 

さて、0.1666点差で落ちるというドラマチックな敗北を喫した私ですが意外と気持ちはスッキリしています。

 

自分の気持ちを自己分析してみますと、ほぼ東大合格者に匹敵するくらいの点を取れたということがやっぱり肝なんだろうなと思います。

 

1年あればなんでも出来るが信条で、余裕を持って勝つことが一番カッコイイと考え、東大合格ごとき友達なんて作らずに達成出来るわと考えていた私もどこか虚勢を張っていて自分に不安だったんでしょう。何せネットでは浪人したって30点アップが限度だと色々なところで書かれていますから。

 

しかし僕はどうでしょう。結果的に二次試験で70点以上上がっています。僕はこの事が1番嬉しかった。自分の可能性を信じた結果であり、センター試験後のあの全く成長出来ていないと錯覚してしまった感覚を真に打ち消せたようなそんな気がしました。

 

1年間一つのことを集中的にやる機会なんてあまりありませんでしたしその結果達成出来ないなんて経験もしたことはあまりありませんでした。

 

そういうわけで不合格(当時の僕にとってはデスセンテンス)が3月10日に言い渡されてから3月14日に届くまでがある意味この浪人生活の中で1番辛かったですね。まだ今後の未来があれば希望的にもなれるでしょうがもう多分二度と東大を受けることは無いでしょうから。今まで人生でやり直しのきかない失敗はほとんどしてきませんでしたし、多少あったことでも、自分の人生に大きく関わるものではありませんでした。

 

小学校の卒業式で将来の夢を語らされた時にまだ決まってませんと堂々と語った私。

その本質が変わっていない私にとって自分の未来の選択肢が狭められてしまうという経験は中学受験以来でありましたが、大学受験は他人に比べプラス1年みっちりやってきたため今まで食らったことのない威力のダメージでした。

 

実は私の大学受験をかける思いの大きさにはもう1つ大きな側面がありました。それは部活です。私は中高一貫校に行っていており6年間バスケットボール部でした。

 

何故バスケ部だったかと言うと単純に小学校の頃から地元のクラブチームでやっていたからです。そのチームのキャプテンであり、区の選抜にも、受験をしていたので練習にほぼ出られないにもかかわらず選んでいただきました。

 

そんな私にとって受験して入った学校のバスケ部は素人が多く大したことないというのが第一印象でした。案の定すぐに中2の先輩との練習に合流しました。しかしここで私は満足してはいけないとは思いつつもしてしまっていたんでしょう。がむしゃらにプレーするというより周りから凄すぎ!といわれるプレーを目指すようになりました。

 

結果がむしゃらに走って下手くそながらもゴールをもぎ取る同級生に比べて特に頑張っているように見えない私のプレーはコーチの中で評価が下がっていきました。

 

1VS1なら必ず勝てるという自負のあった私はパスを貰うために敵から1歩離れた場所でボールを待っていましたがコーチに言われたボールを貰うために声を出すという行為をあまりしませんでした。ボールを貰えずに突っ立っているのではまさに蚊帳の外です。しかし(今もかもしれませんが)私はどうしても精一杯頑張って勝つより余裕ぶって勝った方がカッコよく見えてしまっていたのであまりそのアドバイスに従いませんでした。

 

結果上手いとはいえそこまで次元の違う上手さではなかったため徐々に試合に出してもらえる頻度は下がってゆき、試合に出ている人の方が上手くなるスピードは早い(試合でしか得られない経験値が多くなる)ので時間が経つにつれて技術の差も試合に出ているメンバーと同じくらいになってしまいました。

 

そして遂に中三の最後の試合では私の出場時間は0になりました。正直この時の監督の判断は今でもどうかと思いますが、それはさておきこの時の私は監督を見る目がない人だと一蹴し高校3年間で頑張ろうと考えていました。

 

が、この部では高校は中学の延長線上という意識が強く、またB戦の試合を監督が見ることはなかなかありませんでした。またA戦での出場機会を得ても1回失敗すれば直ぐに逆戻り。結局私は過去の栄光で必死に自分を保ち続け、周りからは上手いのに残念な人という評価が続きました。

 

この時もめちゃくちゃ悔しかった。だから朝練にも頻繁に行きました。前の記事に書いていた通り私はめちゃくちゃ頑固な人間なので1度決めたことを辞めるのは負けだと思っており、部員が半分辞める(私たちの代は顧問との関係が宜しくなかった)というビッグウェーブが起こった時も部に残りました。

 

私たちの代の結果は3つの大きな大会で全て1回戦負け。(先輩の残してくれたシードがあったので大会記録としては2回戦ですが)

 

その1回戦負けのチームの中でさえ私は最後の大会の3分しか出ることが出来ませんでした。

 

笑えます。どうやったらここまで落ちぶれられるんだと。最後の3分で3点決める事が出来たのでそれ自体は良かったと思っているのですが自分の惨めさがいたたまれなかった。

 

というわけで勉強くらいは見返してやろう、失った自分への信頼を取り戻そうということで頑張りました。が、結果は惨敗でした。学校の成績は良い方で上のクラスに入っていましたが定期試験はほぼ全て一夜漬けで乗りきっていました。勉強は積み重ねですのでこれでは成績に出る物以下の実力しか身につきません。

 

さて部活を途中で辞めた人が見事桜を咲かせている中、私はこの生々しく深い部活の傷を何とか癒そうと、そして自分に箔を付けようと、東大を志望して駿台で浪人しました。

 

正直浪人の生活自体はやることは決まっているしカリキュラムもしっかりしているので、部活の締めに行われるシャトルランや試合にどうしても出られない苦しみ、屈辱に比べれば慣れることが可能でした。

もちろん大変でしたが講師皆さんの教え方も良かったため各教科を大学に入るための手段としてみるのではなくそれぞれの面白さをほんの少しでも受け取ることが出来た気がするのでその点だけでも浪人した価値はあるかなという気はしています。

 

後から考えればそう思えますが、結果が全てであり『 一浪してるのに結局東大行けないんですかwww』と言われる可能性がある事自体に吐き気がしていた私は必死で勉強しました。勿論落ちているので改善の余地は山のようにあったのでしょうがそれでも頑張ったことは事実です。

 

なんとなく要領を得ない記事になってしまったのでまとめると一年前私が浪人して成し遂げたかったことは

①東大という名前で自分に箔を付けたい

②自分は出来るやつだということを証明したい

 

という2点でした。

 

結果浪人生活が終了して私が得た教訓は

①傍から見れば結果が全てであるが自分がやった努力を無視するのは過去の自分にとって失礼であり精神衛生上宜しくない

 

②多大な犠牲を払ったのに目標を達成出来なかった時(挫折の時)どうするのか

→悲しむのも大事だが今ある能力を磨いて次に繋げる、その切り替えが大切であり今後楽しくやろうとするならそうするしかない。(これは私の一生の課題になりそうですが。)

 

③東大は別にゴールではない。こういうと受かってもないのに何を言ってんだというように聞こえますが、大学名で自分に箔を付けて自分を大きく見せるなんてせこい事を考えずに大人しく自分自身に実力をつけろ!!という事なのかなーと解釈しました。(これは僅差で落とされたということから天に告げられているような気がしてます)

 

④応援から得られる熱量は凄い

   家族と予備校のクラス担任の方にはとにかく感謝です。

 

この4点ですかね。

 

大差で再び落ちてしまった違う世界線の私がこの結論に辿り着けるのか、それは結構怪しいしおそらく今の私よりもこの結論に辿り着くためにかかる時間は長くなるでしょう。

また、合格した世界線の私がこの教訓に辿り着くかと言われればそれもまた望み薄でしょう。

 

バスケットボール部が教えてくれたように人間は現状に満足してしまえばどうしても変わりづらくなりますから。変化を疎み、過去を省みて未来を積極的に創造していく意欲を失いますから。

 

今後私はどうするのかについてですが、慶應経済のa方式に進学します(実はこの学校も補欠で入れてもらったんですけどね)

正直この点差だと仮面する人もいるのでしょうが、東大の名前が欲しかっただけで東大を志望していた(つまり東大でしか出来ないことを何かやりたい訳では無い)私は、東大の名前に頼るのは辞めようと思うので今のところはこのまま慶応に進学して自分を磨いていきたいなという方針でいます。出来るか自信はあまりありませんし、途中で仮面するという事もあるかもしれませんが。

 

東大に、1年間人より多く勉強しても受からなかったという事実は一生残ります。しかし人間は過去の痛みを今の喜びで克服できる動物なのではないかと思います。そうでなければ過去の傷から立ち直ることなんて一生出来ないでしょう。

 

つまりこれからまた様々な挫折が待っているでしょうけどとりあえず未来の自分に期待!ってことです。

 

楽しく充実感を持って人生を送る上で最も大切なことは挫折を受けても過去の自分を認めてやり、未来の自分に期待し今現在において最善を尽くすことなのではないでしょうか。

 

この拙い文の羅列が苦い苦い挫折を味わった皆さんの参考になれば幸いです。