中学受験の意義
大学受験を終えて中学受験のことも思い出した。
中高一貫校に入って良かったと思うことは中学受験の意義とも重なることだと思う。
では何か。
それは一言で言えば『環境』だろう。
何か強い信念がある人以外は環境に流されやすいだろう。
小学生の時に将来の夢をはっきりと持つ人はそんなに多くないと思う。僕なんて今でもやりたいことが全くわからない。
やりたいことが特になければ必然的に環境から受ける影響、特に《常識》の形成への影響はかなり大きくなるのではないか。
幾つか例を挙げてみよう。
①小学校から中学に入学した最初の頃、てっきり小学校とそんなに変わらないと思っていたため最初の中間テストに対して小学校の頃と同じように全然勉強しなかった。結果6年間で最も悪い成績を取った。塾に行っているから勉強しなくても学校のテストではいい点を取れるという常識が変わった。
②小学校の頃バスケの選抜チームに居た時はきついメニューが当たり前だった。これが普通だと思っていたが中学に入ると結構練習が温く感じた。
このように環境が異なれば自分にとっての当たり前も変化していく。
中高一貫校では殆どの人が大学に行くのが当たり前でしかも多くが結構良い大学に行くのが普通である。
常識にはある意味強制感が含まれておりそれをいい方向で使えればとてつもない力に変わる気がする。
東大に行く生徒がほとんど居ないような学校よりも東大合格者を毎年輩出する学校に在籍している方が周りの生徒の意識レベルは高くなり、このぐらいは出来てて当たり前という常識の水準が高くなっているだろう。
自分より多少お勉勉が出来る人が多い学校に入れば、周りの『当たり前』のレベルが高いので自分の常識レベルを上げていくことが出来る(負けてもいいやと思ってしまったら無理だが)。
言い換えれば集団のトップにいて自分をストイックにいじめ続けるよりも(どうしたって妥協は産まれるので)下位集団からスタートして追い上げていく方が結果的に自分を成長させることができる気がするという事だ。
僕はSAPIXの東京校に通っていた。(多分)
最初のクラス分けテストみたいなもので僕が入ることになったのはBクラスだった。結構できた感触があったので上から2番目じゃん、ちょろ!と思っていたらなんと下から2番目だった。
なんとも甘い見込みだ。
東京校にはAからL?までのアルファベットのクラスとα1〜6までのクラスがあった。
組み分けテストやらマンスリーテストやらがあり、マンスリーの意味もわかっていない小学生達がその1回1回の結果に一喜一憂していた。
冷静に文字にすると若干狂気を感じる。
中学受験は本当に親の力が大きいと思う。小6のクソガキにとって(よっぽどおませさんでなければ)将来のためという漠然とした理由で公立の友達と離れるという辛い思いをしてまで机に朝から晩まで座らされているのは苦痛だろう。
僕もそうだった。
SAPIXはとにかくプリントの量が多い。この管理は結構大変だ。苦手を潰さなければ成績が大幅に伸びることは一生無いが、自分の間違った所を突きつけられ、見つめ直すというのは結構嫌なものである。如何にこの問題を乗り切るか、如何に子供をなだめすかして直しをさせるかが親の重要な役割であるだろう。
Bクラスだったケビン少年もシールを集めて特典を貰うために奮闘し、α3まで登り詰めた。一瞬で落ちたがここでもクラスの授業の早さや周囲の生徒のモチベーションの高さなど違った常識に触れることが出来た。
中学受験はそれなりのところに入っていれば大学受験はどうとでも成りうると思うが、頑張って目標を達成するという経験は子供にとって大きな成功体験になるのかもしれない。
逆に開成の成れの果てのような人も駿台にはいっぱいいたし負けず嫌いというのも重要な点かもしれない。